日本で最初にビールを飲んだのは? 最初のビールはエールタイプかピルスナータイプ? 初期のエールビールとはどんな味? エールビールと他のビールとの違いがあった? などをプロセスエンジニアの視点から検討してみました。
★ビールの歴史を紐解いてみる 水戸黄門さまが関係していらた面白いのに・・・
先日友人から日本ビールの歴史を尋ねられて少し調べてみました。
その時は「水戸のご老公が最初に飲んだんだったら面白いですよね。」などと話をしていましたが調べてみると、8代将軍吉宗の頃にビールを飲んだ感想を述べた記憶がありました。吉宗の頃から「ビール」と言う飲み物がを飲んだ日本人がいた最初の記録のようです。日本ビール検定公式テキストには下記の記述があります。
日本人で最初に誰がビールを飲んだかについて定かではありませんが、1724(享保9)年に刊行された「阿蘭陀問答」に「殊のほか悪しき物にて、何のあぢはいも無御座候、名はヒイルと申候」と記述されています。
★ビール醸造における黎明期とは
実際に日本にビールが商業的に広まったのは明治時代になってからになります。
商業的にビールが醸造されたのは、
1869(明治2)年に横浜山手の外人居留地に、ユダヤ系のローゼンフェルトによる日本で最初のビール醸造所「ジャパン・ブルワリー」が開業します、この蒸溜所は5年ほどで廃業しましたが、横浜でも神戸でも外国人の手によるビール醸造所があいついで誕生します。
横浜山手の外国人居留地内で1870(明治3)年にアメリカ人コープランドがスプリング・バレー・ブルワリーを開業します。
とあり(スプリング・バレー・ブルワリーはキリンビールの発祥であり、キリンビールの歴史にもつながっています)
品川県と多様・開商社と京都舎密局のそれぞれが官営ビール醸造を試みます。開商社に招聘されたアメリカ人醸造技師フルストを雇った渋谷庄三郎が1872(明治5)年に「渋谷ビール」を起こしており、これが日本人経営者による最初のビール会社となります。
とあり、日本人もビール醸造に参画していきます。
というように、それなりの規模のビール会社が設立されたわけです。
★エールビールが淘汰された!
調べていくと、他の書籍に面白い記述がありました。サントリーのビール生産スタートに奔走された村上満氏の書かれた「ビール世界史紀行」に以下の記述があります。
幕末から明治初頭にかけて、日本は英国を名実ともに模範としていたのです、ビールとて同様で、すでにアジアで圧倒的人気を勝ち得ていたバートンのエールが威風堂々と上陸してきたのです。このバス・エールに果敢に挑戦した初期の日本の醸造家達はことごとく討死します。「赤い三角印」のバス・エールはまさに「ビールの黒船」でした。(中略)
明治二〇年代は日本のビール産業の黎明期でした。明治二三(1890)年、上野で開催された第三回勧業博覧会には二三道府県から八三点もの銘柄の出品がありました。注目すべきは、このころあった一〇〇軒近いビール醸造所が明治三〇年代にはほぼ淘汰されて、ドイツ製ラガー・ビールを選択したわずかな大企業だけが生き残ったことです。
ここにあるように、英国風エールビールを目標に醸造していた会社はなくなり、ドイツ風ピルスナービールを製造していた会社が残っていったのです。どんな味だったのかというと、村上氏はエールビールの苦味が日本人にはあわず、ドイツ風の甘味の残ったサッパリとした風合いのビールが好まれた。「ドイツ風が流行しているから」という記載のある文献もあるとおり、最終的には当時のエールビールが味が日本人にあった香味ではなかったという理由に落ち着くと私も考えますが、その理由をプロセスエンジニアの面から考えてみると面白い理由が浮かんできます。
★プロセスエンジニアとしてビールづくりを考える
現在の缶ビールで、サントリーのプレミアムモルツ「香るエール」に代表されるように、日本人にあったエールビールがたくさん販売されています。他にもペールエールビールなども最近増えてきています。しかし日本人にあったエールビールを何故この時代には造れなかったのか?そこには、日本の気候風土が大きく寄与しているのではなかったかと私は考えています。
エールビールのふるさとは英国。日本と同じ島国ですが、気候は現代の平均最高気温が23℃。温暖化が進んでいない19世紀はもう少し低かったのではないかと思います。
エールビールの醗酵温度は15℃から23〜24℃までであれば良いわけで、自然に醗酵させて河川水を使って冷却すればなんとかなるものだったのだと考えます。片や後発のドイツビールは平均最高気温が23℃ではおさまらず、醗酵条件にあわない気候でビールを製造するために、冷凍機を使った冷却をし、アンモニア冷媒で冷やし込んでも醗酵できる酵母でビールを製造したため結果的にドイツ風のビールが造れたと考えます。すなわち、ビール醸造のために冷凍機を扱う技術は必須だったわけです。
逆に、エールビールを製造する英国の醸造家には冷凍機の技術は必要なかったとも言えます。
★プロセスエンジニア的に考えても当時の日本ではドイツ風ビールが生き残る
さて、明治時代ビール黎明期に戻って考えると、英国志向で始まったエールビールづくりですが、日本の気候に招聘された英国人醸造技師は四苦八苦したのではないかと想像します。日本の気候としては、当時でも30℃を超えるビールにとっては高温多湿の気候です。24℃前後までで醗酵させないといけないエールビールをつくるビール会社では、美味しいというよりもビール自体をつくるのに英国人技師は大変苦労されていたのだろうと想像します。超高価な冷凍機は高嶺の花であったのと、たとえ購入できたとしても冷凍機を使った醸造技術が確立されていない英国人技師では、低温で醗酵できないエール酵母によるビールづくりでは、美味しいエールビールの製造までいたらず、日本人のお客さまの嗜好にあわなかったのだろうと私は推測しています。
ドイツ人のビール醸造技師は元から冷凍機技術にも強く、日本の気候風土がどうであれ、醗酵環境をコントロールできる技術を有していたことと、ドイツ風のビールが日本人好みであったことも幸いたのでしょう。大資本で超高価な冷凍機を導入しドイツ人醸造技師を招聘できた大手のビール会社が残ったのだと考えます。
それが、村上氏が記述されているように、日本人の好みに合ったビールであるドイツ風ビールが生き残る結果に繋がっていくのだろうと私は考えた次第です。
★プロセスエンジニアからみたビールの歴史まとめ
残念ながら醸造家ではないので現段階では仮説の域を超えていませんが、ビールひとつをとってみても、プロセスエンジニア目線でいろいろと思いを馳せるのも、ビール好きの私にはたまらない楽しみ方です。今後も継続して調査・裏付けをしていきたいと考えています。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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